Research Case Study 693|『貞観政要・論赦令第三十二』を三層構造解析(TLA)で読み解く|なぜ法令が複雑になるほど、違反者よりも運用者の恣意が強くなるのか


1 研究概要(Abstract)

本稿は『貞観政要』論赦令第三十二を対象に、なぜ法令が複雑になるほど、違反者よりも運用者の恣意が強くなるのかを考察するものである。本篇は一見すると恩赦批判、法令簡素化、詔令安定、風俗規制、限定的赦免を扱う複合篇であるが、その中核には、法の複雑化が単に理解困難を生むだけでなく、運用者に選択権と操作余地を与えることで、法治を人治へと傾けるという統治理解がある。

とりわけ第三章で太宗は、一つの罪に複数の条文を設けてはならず、条目が多数になれば役人は記憶できず不正が生じると明言している。ここで問題とされているのは、違反者の悪質さそのものではなく、法令の複雑化によって、軽重の選択、条文の引き分け、結論先行の適用が可能になる点である。本稿は、TLAの三層構造を通じて、なぜ守成国家においては、違反者をただ厳しく見ること以上に、運用者が法を私物化できない構造を守ることが重要なのかを明らかにする。

2 研究方法

本稿では、TLA(Three-Layer Analysis)の枠組みに従い、『貞観政要』論赦令第三十二を三層で読解した。Layer1では、各章の叙述を時点・主体・行為・対象・根拠・結果・制度論点へ分解し、恩赦濫発批判、技術利用の公私峻別、法令簡素化、詔令安定、私人事情と国家法の峻別、厚葬規制、忠臣子孫への限定的赦免という事実群として整理した。Layer2では、それらを赦令統制構造、法令簡素化構造、詔令安定構造、君主自己拘束構造、行政執行補正構造、守成期統治最適化構造などの統治構造へ再編した。Layer3では、とくに法令簡素化構造と行政執行補正構造に注目し、なぜ法令が複雑になるほど、違反者よりも運用者の恣意が強くなるのかを、条文重複・軽重選択・執行裁量・制度的不正の観点から洞察化した。

3 Layer1:Fact(事実)

本観点に引きつけたとき、論赦令第三十二の事実群は次の六点に整理できる。

  • 第一に、太宗は「国家の法令というものは、ただ簡単で繁雑でないようにすべき」と述べている(第三章)。ここで法令簡素化は、単なる事務上の便宜ではなく、統治の原則として提示されている。
  • 第二に、太宗は「一つの罪に対して数種の条目を設けてはならない」と明言している(第三章)。同一行為に複数の法的入口を与えること自体が問題視されている。
  • 第三に、「条目が多数にあれば、役人がすべてを記憶することができない、そこで不正が生じる」と述べられる(第三章)。不正の発生主体として、違反者だけでなく役人が明示されている。
  • 第四に、「もし罪を赦そうとすれば、軽い条目を引き、もし罪に入れようとすれば、重い条目を引く」とされる(第三章)。同じ事実に対して、結論に応じて条文を選び分けられる構造が示されている。
  • 第五に、太宗は「度々法令を変更することは、実に治道に益がない」と述べる(第三章)。法令の複雑化は、変更・追加・補修の累積とも結びつけられている。
  • 第六に、第四章では、詔・令・格・式が常に定まっていなければ人民の心は惑い、不正や詐偽が増すと述べられる(第四章)。法令の不安定さと複雑さが、運用者側の恣意だけでなく、全体秩序の混乱にも接続している。

4 Layer2:Order(構造)

これらのFactを統治構造として整理すると、本篇は次のような構造を示している。

  • 法令簡素化構造:法が複雑で多重になるほど、一義的適用が難しくなり、法の中心が条文そのものから運用者の解釈へ移る。
  • 行政執行補正構造:理念だけでは秩序は保てず、官僚機構が記録・奏上・処断を一貫して行う必要がある。しかし法令が複雑であれば、この執行過程そのものに恣意が入り込みやすくなる。
  • 詔令安定構造:法令が頻繁に修正・反改されるほど、現場は「何が現行基準か」を把握しにくくなり、運用者の判断余地が拡大する。
  • 赦令統制構造:恩赦や軽重の操作は、法の帰結を後から変えられるという前例を作り、条文選択と裁量判断を結びつける。
  • 守成期統治最適化構造:守成国家では、違反者の悪質性を力で押さえ込むこと以上に、運用者が法を選び分けられない制度設計が重要となる。

5 Layer3:Insight(洞察)

法令が複雑になるほど、違反者よりも運用者の恣意が強くなるのは、法が本来持つべき「誰が見ても同じ結論に至る共通基準」としての性格が弱まり、代わって条文を読み分け、選び分け、組み合わせる側の力量と意思が結果を左右するようになるからである。法治において本来中心に置かれるべきなのは、違反者の悪意そのものではなく、その違反に対して国家がどのような基準で対処するかである。もし法が簡明で一義的であれば、違反者がどのような人物であれ、適用結果は大きく揺れない。ところが、法令が複雑化し、条目が増え、例外規定や複数の法的入口が重なり始めると、違反行為そのものよりも、それをどう分類し、どの条文を当て、どこを重視するかという運用者の選択が前面に出てくる。ここで国家秩序の主役は法ではなく、法を扱う人間へと移ってしまう。

違反者は、法令が複雑であっても、それを全面的に理解して行動しているとは限らない。むしろ多くの場合、違反者は法の細部を知らない。しかし運用者は、条文群の中から軽いものも重いものも選びうる立場にある。そのため、法が複雑になればなるほど、違反者の行為の悪質さ以上に、運用者がどの条文を引くか、どう解釈するか、どこを強調するかが決定的になる。つまり、法令の複雑化は、違反者の自由を増やすというより、運用者の裁量範囲を拡張するのである。

ここに恣意が生まれる理由は明確である。単純な法であれば、適用は比較的機械的になり、運用者の個人的意向が入り込みにくい。しかし複雑な法では、どの条文が優先されるか、どの条文が適切か、どの事情を重く見るかについて、運用者が判断を下さなければならない。その判断が不可避になること自体は、ある意味で当然である。だが問題は、判断余地が広がると、その中に私情、保身、忖度、政治的配慮、先入観、さらには利権や賄賂までもが入り込めるようになることである。こうして、法の複雑さは中立的な精密性ではなく、恣意の通路と化しやすい。

また、法令が複雑になると、人民の側も法を直接の基準として理解しにくくなる。何が違反で、どの程度の結果になるのかが見えにくくなるため、人々は「法文そのもの」より「どう運用されるか」に注意を向けるようになる。すると社会全体が、遵法か違反かをめぐる世界から、誰が裁くか、どう解釈されるか、どこに働きかけるかをめぐる世界へ移る。これは、法が秩序の中心から退き、運用者が実質的な支配者になることを意味する。ゆえに、複雑な法は違反者を直接強くするのではないが、違反者と運用者の関係を、恣意的交渉の場へ変えてしまうのである。

さらに重要なのは、法令の複雑化が、運用者に「責任を法へ転嫁できる環境」を与える点である。単純な法のもとで恣意を働かせれば、その逸脱は見えやすい。だが複雑な法のもとでは、運用者は多くの条文や例外を根拠として、自らの都合のよい処理を「法に従っただけ」と説明しやすくなる。ここでは恣意は露骨な逸脱ではなく、合法の仮面をかぶった操作として現れる。これが、複雑法制のもっとも危険な点である。法を破らなくても、法を使い分けるだけで恣意が成立してしまうからである。

論赦令第三十二における太宗の指摘は、この問題の核心を突いている。彼は、一つの罪に数種の条目を設けてはならず、条目が多数になれば役人が記憶できず不正が生じると言う。これは単なる事務簡素化の話ではない。そこには、法令の複雑さが国家の統治権を法文から役人の裁量へ移してしまうという認識がある。もし罪を赦したければ軽い条目を、罪に入れたければ重い条目を引けるなら、もはや結果を決めるのは違反行為ではなく、運用者の意志である。ここに、法治のもっとも深い崩れがある。

したがって、法令が複雑になるほど、違反者よりも運用者の恣意が強くなるのは、複雑化が単に情報量を増やすだけでなく、結論を左右する選択権を運用者側へ集中させるからである。違反者の危険は法によって抑えうるが、運用者の恣意が制度化されると、法そのものが恣意の装置となってしまう。ゆえに、守成国家においてまず警戒すべきは、違反者の狡猾さ以上に、法の複雑化がもたらす運用者側の権力肥大なのである。

【根拠となる条項】

  • 第三章:「国家の法令というものは、ただ簡単で繁雑でないようにすべきものである」
  • 第三章:「一つの罪に対して数種の条目を設けてはならない」
  • 第三章:「条目が多数にあれば、役人がすべてを記憶することができない、そこで不正が生じる」
  • 第三章:「もし罪を赦そうとすれば、軽い条目を引き、もし罪に入れようとすれば、重い条目を引く」
  • 第三章:「度々法令を変更することは、実に治道に益がない」
  • 第四章:「詔・令・格・式が、もし常に定まっていなければ、人民の心は多く惑って、不正や詐偽が日ごとに益すようになる」

6 総括

論赦令第三十二が示しているのは、法令の複雑化が単に「わかりにくい」という問題にとどまらないということである。より深い問題は、法の複雑化によって、違反者の危険よりも、運用者の裁量と恣意の危険のほうが大きくなるという点にある。

違反者は法に従って裁かれるべき対象である。しかし、法令が複雑になりすぎると、裁く側が法を選び分けられるようになり、法そのものが中立基準ではなく操作可能な資源となる。すると、国家秩序の中心は法文ではなく、それを扱う人間の胸先三寸へと移っていく。これこそ、法治国家にとって最も危険な状態である。ゆえに、この篇の教えるところは、違反者をただ厳しく取り締まれということではない。そうではなく、法令を単純・一義的に保つことで、違反者を裁く力よりも、裁く側が法を私物化しない構造を守れという、守成国家の極めて本質的な統治原理なのである。

7 Kosmon-Lab研究の意義

Kosmon-Labの研究において本篇が重要なのは、組織崩壊の原因を「悪い現場」「不正な個人」へ還元するのではなく、制度設計がどのように運用者側の恣意を増幅するかという統治OSの問題として捉え直せるからである。OS組織設計理論の観点から見れば、制度の健全性とは、違反者を厳しく罰せること以上に、運用者が判断権を肥大化させずに済むだけの単純性・一義性・予測可能性を保てるかによって測られる。本篇は、法令の複雑化が現場の悪用より先に、管理層・運用層の権力集中を招くことを示している。

現代の企業や行政でも、規程やルールを増やせば統制が強まると考えがちである。しかし実際には、規程が増えるほど、どの条項を使うか、どの例外を認めるか、どう解釈するかという運用者の選択権が拡大しやすい。結果として、現場の違反よりも、管理側の恣意のほうが組織を深く損なうことがある。本研究は、なぜ「ルールを増やすこと」がしばしば「裁量を増やすこと」に転化するのかを、古典的統治理解から照射するものであり、現代組織における規程肥大化、コンプライアンス運用、評価制度の恣意化を考えるうえでも有効な視座を提供する。

8 底本

原田種成『新釈漢文大系 貞観政要・下』明治書院、1978年。

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