1. 問い
なぜ兵士は、国家そのものではなく、自由なローマのために戦おうとしたのか。
この問いは、リウィウス『ローマ建国以来の歴史』第三巻において、十人委員会の専制下で戦意を失ったローマ軍が、自由回復後に再び戦う意味を取り戻す過程を分析するための問いである。
一見すると、兵士は国家のために戦う存在であるように見える。
国家がある。
外敵がいる。
命令権がある。
軍団が編成される。
兵士が徴集される。
この条件がそろえば、兵士は戦うように見える。
しかし、リウィウス第三巻が示すのは、それほど単純な構造ではない。
十人委員会期にも、ローマ国家は存在していた。都市ローマもあり、元老院もあり、軍団もあり、敵もいた。命令権も形式上は存在した。
それにもかかわらず、兵士は戦意を失った。
なぜか。
それは、その国家が兵士にとって「自由なローマ」ではなかったからである。
兵士が命をかけて守ろうとしたのは、国家という形式そのものではない。自分たちの自由、権利、名誉、家族、共同体帰属が守られるローマである。
本稿では、この問題をTLA、すなわち三層構造解析と、OS組織設計理論の観点から分析する。
2. 研究概要(Abstract)
兵士が国家そのものではなく、自由なローマのために戦おうとしたのは、彼らにとって「国家」は無条件に守る対象ではなかったからである。
守る価値があるのは、自由保障回路が機能し、市民が自由の身として参加できるローマであった。
十人委員会期にも、形式上の国家は存在していた。
都市ローマはあった。
元老院もあった。
軍団もあった。
敵もいた。
命令権もあった。
しかし、その国家は兵士にとって「自由なローマ」ではなかった。
上訴権は停止されていた。
護民官は不在であった。
十人委員は任期後も居座っていた。
元老院内の反対は威圧されていた。
司法はアッピウスの私欲に接続されていた。
戦場では、十人委員への反対者も排除された。
この状態では、兵士が国家のために戦うことは、十人委員の権力維持に協力することになりかねない。
したがって、兵士たちは「国家一般」のためには戦えなかった。
彼らが戦おうとしたのは、自由を回復したローマである。上訴権が戻り、護民官が復活し、平民会決議が強化され、十人委員の専制が停止され、報復も抑制されたローマである。
本稿の結論は、次の通りである。
兵士が国家そのものではなく、自由なローマのために戦おうとしたのは、国家の形式だけでは忠誠の対象にならないからである。兵士が命をかけて守ろうとするのは、自分たちの自由、権利、共同体帰属、名誉が守られるOSである。十人委員会期の国家は、兵士にとって守るべき共同体ではなく、自由を奪う支配装置に近づいていた。自由回復後のローマだけが、再び兵士にとって「守る価値のある国家」となったのである。
3. 研究方法
本稿では、TLA、すなわち三層構造解析を用いる。
TLAは、歴史的記述を三つの層に分けて分析する方法である。
第一層は、Fact、すなわち事実である。ここでは、リウィウス本文に記録された出来事を整理する。十人委員会への権力移行、上訴権停止、護民官不在、第二次十人委員会の強権化、任期後居座り、元老院内反対の威圧、兵士の戦意低下、ウェルギニア事件、聖山退去、十人委員辞任、護民官復元、上訴権回復、報復抑制、ウァレリウスの檄、ローマ軍の士気回復と勝利を確認する。
第二層は、Order、すなわち構造である。ここでは、「国家一般」と「自由な国家」の違いを分析する。国家は、領土、制度、命令権、軍団、徴集、外敵防衛を持つ。しかし、兵士が守る価値を感じるには、上訴権、代表回路、公職者制御、責任追及手続き、報復抑制、共同体帰属感が必要である。
第三層は、Insight、すなわち洞察である。ここでは、兵士の忠誠対象が「国家という形式」ではなく、「自由を保障する共同体」であったことを導く。
本稿では、OS組織設計理論 R1.34.00.00も用いる。
特に、次の概念を重視する。
第一に、自由保障回路である。上訴権、護民官、平民会決議、退去者免責、報復抑制は、兵士が国家を「自分たちのOS」として信頼するための制度的条件である。
第二に、兵士Tである。兵士は国家OSの実行環境であり、統治OSを信頼できなければ、軍事アプリは作動しない。
第三に、勝利帰属である。勝利が十人委員の権威を強めるなら、兵士は勝利を望みにくい。勝利が自由なローマと兵士自身のものになるなら、兵士は再び戦える。
第四に、戦争目的再接続である。戦争が支配者のための軍務から、自由な共同体の防衛へ戻ることで、兵士は危険を引き受ける意味を回復する。
4. Layer1:Fact(事実)
リウィウス第三巻では、兵士の戦意が「国家そのもの」ではなく、「自由なローマ」と接続していたことが描かれている。
第32節から第33節では、十人委員会へ権力が移行する。十人委員会は、成文法を作るための臨時機関であった。しかし、十人委員の決定には上訴権が及ばなくなる。
これは、自由保障回路停止の始まりである。
第36節では、第二次十人委員会が強権化し、十人の王のように振る舞う。国家OSは共和政的制限を失い、私物化へ向かう。
第38節では、十人委員が任期後も居座る。臨時OSが終了条件を失い、国家一般への信頼を損なう。
第39節から第41節では、元老院内の反対とアッピウスの威圧、軍徴集の決定が描かれる。補正回路が封殺されたまま、軍事命令が出される状態である。
第42節では、十人委員指揮下のローマ軍が戦意を失い、敗北する。これは、兵士が国家一般のためには戦えなくなった直接シグナルである。
第43節では、戦場で十人委員への反対者が排除される。軍内部でも補正者排除が進み、十人委員への不信が深まる。
第44節から第49節では、ウェルギニア事件が起きる。国家OSの私物化が、自由身分の侵害として可視化される。
第50節から第52節では、軍団と平民が聖山へ退去する。兵士と平民は、十人委員OSへの参加を停止する。
第53節では、平民が護民官職、上訴権、退去者免責を要求する。これは、自由なローマへ戻るための再接続条件を提示したことを意味する。
第54節では、十人委員が辞任し、護民官選挙が行われる。国家OSは十人委員支配から切断される。
第55節では、上訴権、護民官不可侵、平民会決議が強化される。自由なローマの制度的基盤が回復する。
第59節では、ドゥイリウスが追加報復を抑制する。自由回復は報復OS化せず、通常制度へ戻る。
第60節では、戦争が再開され、コーンスルが慎重に主導権を取り戻す。軍事指揮が公共目的へ再接続される。
第61節では、ウァレリウスが兵士に対し、兵士は自由な都市ローマのために、自由の身として戦っていると檄を飛ばす。
これは、戦争目的が「国家一般」から「自由なローマ」へ再定義された場面である。
第62節では、兵士の士気が高まり、決戦へ入る。
第63節では、ローマ軍が勝利し、凱旋式をめぐる議論が起きる。勝利と栄誉が、共同体へ接続される。
この条項群を見ると、兵士は単に外敵と戦う存在ではないことがわかる。
兵士は、市民であり、平民であり、共同体の一員である。したがって、国家OSが自由を守る場合には戦えるが、国家OSが自由を奪う場合には戦えなくなる。
第61節のウァレリウスの檄は、この構造を明確に言語化している。
兵士は国家一般のために戦っているのではない。自由な都市ローマのために、自由の身として戦っているのである。
5. Layer2:Order(構造)
兵士が国家そのものではなく、自由なローマのために戦おうとした理由は、忠誠の対象が「国家の形式」ではなく、「守る価値のある共同体」だったからである。
国家には、二つの状態がある。
一つは、形式としての国家である。
もう一つは、守る価値のある国家である。
形式としての国家には、領土、制度、命令権、軍団、官職がある。
しかし、それだけでは兵士は本気で戦わない。
兵士が戦うには、その国家が、自分たちの自由を守るものだと認識できなければならない。
十人委員会期のローマは、形式としては国家であった。
しかし、兵士にとっては、自由なローマではなかった。
自由なローマとは、単に外敵から独立している国家ではない。
自由なローマとは、公職者の判断に上訴でき、平民代表が保護され、集団意思が制度へ接続され、司法が私欲に占有されず、命令権が公共目的へ接続されている国家である。
この条件が壊れると、国家は形式として残っていても、兵士にとっては「守るべきOS」ではなくなる。
5.1 国家の形式だけでは、兵士の忠誠対象にならない
第一の構造は、国家の形式だけでは、兵士の忠誠対象にならないという点である。
十人委員会期にも、ローマ国家は存在していた。
しかし、その国家は、兵士にとって自由な共同体としては認識されなかった。
なぜなら、国家の中枢が、十人委員によって占有されていたからである。
国家が存在することと、国家が守る価値を持つことは同じではない。
国家が市民の自由を守るなら、兵士はその国家を守ろうとする。
国家が市民の自由を奪うなら、兵士はその国家への忠誠を失う。
したがって、兵士にとって重要なのは「国家があること」ではない。
その国家が「自由を守るローマ」であるかどうかである。
5.2 十人委員会が国家OSを私物化した
第二の構造は、十人委員会が国家OSを私物化したことである。
十人委員会は、もともと成文法を作るための臨時機関であった。
しかし、第二次十人委員会では、その性格が変わった。
任期後も居座る。
上訴権を停止する。
護民官を不在にする。
元老院内の反対を威圧する。
司法を私欲に接続する。
反対者を排除する。
この状態では、国家OSは共同体のものではなく、十人委員のものになっている。
兵士から見れば、国家の名で出される命令は、本当にローマ共同体の命令なのか、それとも十人委員の権力維持のための命令なのかが曖昧になる。
この曖昧さが、戦意を壊す。
兵士は、ローマを守りたい。
しかし、十人委員の支配を強めたくない。
この分裂がある限り、兵士は国家そのもののためには戦えない。
5.3 国家のために勝つことが、専制を強める可能性があった
第三の構造は、国家のために勝つことが、十人委員の専制を強める可能性があったことである。
十人委員会期に兵士が勝利すれば、十人委員は次のように主張できたかもしれない。
自分たちがローマを守った。
自分たちの指揮が国家を救った。
だから、自分たちの権力は必要である。
だから、今後も支配を続けるべきである。
兵士にとって、このような勝利は危険である。
外敵には勝てるかもしれない。
しかし、その勝利が内部の専制を強めるかもしれない。
このとき、兵士は勝利の意味を疑う。
誰の勝利なのか。
勝利の果実は誰のものになるのか。
勝てば自由が戻るのか。
それとも十人委員の権威が強まるのか。
第61節でウァレリウスが「勝利は諸君自身のものであり、十人委員たちのものではない」と語った意味は、ここにある。
彼は、勝利の帰属を十人委員から兵士と自由なローマへ取り戻したのである。
5.4 自由なローマだけが、兵士に自分たちの共同体として認識された
第四の構造は、自由なローマだけが、兵士にとって「自分たちの共同体」だったことである。
自由なローマとは、単なる国名ではない。
それは、兵士が自由な市民として帰属できる共同体である。
上訴できる。
護民官に守られる。
平民会の意思が制度化される。
公職者が私欲で市民を支配しない。
報復は抑制される。
責任追及は手続きによって行われる。
このような国家であれば、兵士は「これは自分たちのローマである」と感じられる。
逆に、上訴できず、護民官もおらず、司法が私欲に従い、反対者が排除される国家は、兵士にとって自分たちの共同体ではない。
それは、自分たちを支配する装置である。
したがって、兵士は国家一般ではなく、自由なローマに帰属したのである。
5.5 自由回復によって、兵士は自由の身として戦う主体になった
第五の構造は、自由回復によって、兵士が「自由の身として戦う」主体になったことである。
第61節でウァレリウスは、兵士に対して、自由な都市ローマのために、自由の身として戦っていると語る。
この表現は重要である。
兵士は、単に命令される者ではない。
自由な市民として戦う者である。
支配者の道具ではない。
共同体の主体である。
十人委員会期には、兵士は命令される存在に近づいていた。
しかし、自由回復後には、兵士は再び自由な市民として戦う主体になる。
この主体性の回復が、戦意を回復させた。
人は、強制されるだけでは危険を引き受けない。
しかし、自分自身の自由、自分の共同体、自分たちの勝利のためであれば、危険を引き受ける。
これが、自由なローマのために戦うという意味である。
5.6 外敵との戦いが、内部自由の防衛と接続された
第六の構造は、外敵との戦いが、内部自由の防衛と接続されたことである。
十人委員会期には、外敵との戦いと内部自由が分裂していた。
外敵に勝っても、内部では十人委員の専制が続くかもしれない。
国家を守っても、自分たちの自由は守られないかもしれない。
軍務を果たしても、その成果は十人委員の権威になるかもしれない。
この状態では、外敵との戦争は、兵士にとって共同体防衛として意味づけられない。
しかし、自由回復後には、この分裂が解消される。
外敵と戦うことは、自由を回復したローマを守ることになる。
勝利は十人委員のものではなく、兵士自身とローマ共同体のものになる。
軍務は支配者への奉仕ではなく、自由な市民の共同体防衛になる。
この接続が回復したため、兵士は再び戦う力を持ったのである。
5.7 ローマの自由は、兵士自身の自由でもあった
第七の構造は、ローマの自由が、兵士自身の自由でもあったことである。
兵士は、国家から切り離された存在ではない。
ローマ軍の兵士は、市民であり、平民であり、家族を持ち、都市の制度に生きる者である。
したがって、ローマの制度が壊れれば、兵士自身の自由も壊れる。
上訴権がないなら、兵士も公職者の判断にさらされる。
護民官がいないなら、兵士も保護を失う。
司法が私欲に従うなら、兵士の家族も危険になる。
平民会決議が弱いなら、兵士が属する平民集団の意思も制度化されない。
つまり、自由なローマを守ることは、抽象的な国家防衛ではない。
それは、兵士自身の生活、家族、身分、権利、名誉を守ることである。
だからこそ、兵士は自由なローマのために戦おうとしたのである。
6. Layer3:Insight(洞察)
兵士は、単なる国家機構のために戦うのではない。
自分たちが自由な市民として帰属できる共同体のために戦う。
これが観点47の中心Insightである。
十人委員会期のローマは、形式としては国家であった。
しかし、兵士にとっては、自由なローマではなかった。
第61節でウァレリウスが兵士に「自由な都市ローマのために、自由の身として戦っている」と訴えた意味は重要である。
彼は、兵士に単に「国家のために戦え」と言ったのではない。
十人委員のためではない。
アッピウスのためではない。
勝利は諸君自身のものである。
自由なローマのために戦っている。
このように再定義したのである。
この再定義によって、戦争目的は「支配者のための軍務」から「自由な共同体の防衛」へ戻った。
6.1 自由なローマ防衛モデル
兵士が自由なローマのために戦う構造は、次のように定式化できる。
自由なローマ防衛
= 自由保障回路
× 命令権正統性
× 兵士T
× 共同体帰属感
× 勝利帰属の正当性
× 外敵防衛目的
× 自己自由との接続
この式の核心は、自由保障回路と兵士Tである。
兵士は、国家が自由保障回路を持つとき、その国家を自分たちのOSとして信頼する。
国家が自由保障回路を失うと、兵士はその国家を自分たちの共同体ではなく、支配装置として見るようになる。
6.2 国家一般と自由な国家の差異モデル
国家一般と自由な国家は、次のように区別できる。
国家一般
= 領土
× 官職
× 命令権
× 軍団
× 徴集
× 外敵防衛
自由な国家
= 国家一般
× 上訴権
× 代表回路
× 平民意思の制度化
× 公職者制御
× 責任追及手続き
× 報復抑制
この違いが、兵士の戦意を左右する。
国家一般は、兵士に命令できる。
しかし、自由な国家だけが、兵士に「守る意味」を与える。
十人委員会期のローマは、国家一般としては存在していた。しかし、自由な国家としての条件を失っていた。
だから、兵士は戦えなかったのである。
6.3 勝利帰属モデル
兵士が戦うには、勝利の帰属が重要である。
勝利帰属
= 勝利の果実
× 誰の名誉になるか
× 誰の権威を強めるか
× 兵士への還元
× 共同体への還元
十人委員会期には、勝利の果実が十人委員に帰属する危険があった。
自由回復後には、勝利は兵士自身と自由なローマのものになる。
第61節でウァレリウスが「勝利は諸君自身のものであり、十人委員たちのものではない」と語ったのは、勝利帰属を再設計した発言である。
この再設計により、兵士は再び勝利を望むことができた。
6.4 自由市民軍モデル
ローマ軍は、単なる傭兵集団ではない。
市民軍である。
自由市民軍
= 市民資格
× 自由身分
× 共同体帰属
× 軍務義務
× 権利保障
× 国家防衛
市民軍は、自由な共同体との接続が壊れると弱くなる。
なぜなら、市民兵は、単に報酬で動くのではなく、自分が属する共同体のために危険を引き受けるからである。
したがって、自由なローマが壊れると、ローマ軍も弱くなる。
逆に、自由なローマが回復すると、市民軍としての戦意も回復する。
6.5 戦争目的再接続モデル
自由回復後の戦争目的は、次のように再接続される。
戦争目的再接続
= 十人委員権威からの切断
× 自由なローマへの接続
× 兵士自身の勝利化
× 外敵防衛
× 共同体秩序維持
× 栄誉回路への接続
この再接続が起きたため、兵士は再び外敵と戦えるようになった。
戦う相手は同じ外敵であっても、戦争の意味が変わったのである。
6.6 作動モデル
観点47の作動モデルは、六段階で整理できる。
第一段階は、国家OSの私物化である。
国家OS私物化
= 上訴権停止
× 護民官不在
× 任期後居座り
× 司法私物化
× 反対者排除
この段階で、国家は形式としては残るが、自由なローマではなくなる。
第二段階は、国家一般への忠誠低下である。
国家一般への忠誠低下
= 命令権不信
× 勝利帰属不信
× 十人委員への反感
× 共同体防衛目的の不明確化
× 兵士T低下
ここで、兵士は「ローマのために戦っているのか、十人委員のために戦っているのか」を区別できなくなる。
第三段階は、戦意低下である。
戦意低下
= 国家一般への忠誠低下
× 命令権正統性喪失
× 戦争目的不信
× 敗北容認
× 外敵への集中不能
第42節の敗北は、この結果である。
第四段階は、自由なローマの回復である。
自由なローマ回復
= 十人委員辞任
× 護民官復元
× 上訴権回復
× 護民官不可侵
× 平民会決議強化
× 報復抑制
ここで、国家は再び兵士にとって「自分たちの共同体」となる。
第五段階は、戦争目的の再定義である。
ウァレリウスは、兵士に戦争目的を再定義する。
戦争目的再定義
= 自由な都市ローマ
× 自由の身として戦う
× 勝利は兵士自身のもの
× 十人委員からの切断
× 共同体防衛への接続
この発話によって、兵士は自分たちが何のために戦っているのかを再認識する。
第六段階は、自由市民軍の再起動である。
自由市民軍再起動
= 兵士T回復
× 命令権正統性回復
× 勝利帰属回復
× 共同体帰属感回復
× 士気上昇
× 勝利
これにより、ローマ軍は再び外敵と戦う力を取り戻す。
6.7 因果連鎖
観点47の因果連鎖は、次のように整理できる。
十人委員会への権力移行
→ 上訴権停止
→ 護民官不在
→ 第二次十人委員会の強権化
→ 任期後居座り
→ 元老院内反対の威圧
→ 戦場での反対者排除
→ 国家OSの私物化
→ 兵士が国家一般への忠誠を失う
→ 勝利が十人委員の権威を強めると認識する
→ 戦争目的不信
→ 戦意低下
→ 敗北
→ ウェルギニア事件
→ 自由侵害の可視化
→ 軍団・平民の聖山退去
→ 十人委員辞任
→ 護民官選挙
→ 上訴権回復
→ 護民官不可侵
→ 平民会決議強化
→ 報復抑制
→ 自由なローマの回復
→ ウァレリウスが戦争目的を再定義
→ 兵士が自由なローマのために自由の身として戦うと認識する
→ 士気回復
→ 勝利
この因果連鎖が示すのは、兵士の忠誠対象が「国家という形式」ではなく、「自由を保障する共同体」であったということである。
6.8 最終Insight
最終Insightは、次の通りである。
兵士が国家そのものではなく、自由なローマのために戦おうとしたのは、国家の形式だけでは命をかける対象にならないからである。
十人委員会期にも国家は存在していた。しかし、その国家は、上訴権を停止し、護民官を消し、元老院内の反対を威圧し、司法を私欲に接続し、反対者を排除する国家であった。
このような国家は、兵士にとって守るべき共同体ではない。
むしろ、自分たちの自由を奪う支配装置に近い。
したがって、兵士は国家一般のためには戦えなかった。
自由回復後、十人委員が退き、護民官が戻り、上訴権が回復し、平民会決議が強化され、報復も抑制されたことで、ローマは再び「自由な市民が帰属できる共同体」となった。
このとき、ウァレリウスは兵士に、自由な都市ローマのために、自由の身として戦っていると語った。
この言葉は、戦争目的の再定義である。
兵士は、国家そのもののためではなく、自由なローマのために戦う。なぜなら、自由なローマこそが、兵士自身の自由、家族、名誉、権利、共同体帰属を守るOSだからである。
7. 現代への示唆
観点47は、現代組織における「忠誠の条件」を考えるうえでも重要である。
社員は、会社という法人格そのものに無条件で忠誠を尽くすわけではない。
公務員は、組織名そのものに無条件で忠誠を尽くすわけではない。
プロジェクトメンバーは、プロジェクト名そのものに無条件で献身するわけではない。
人が本気で動くのは、その組織が、自分たちの尊厳、成長、公正、発言権、将来、共同体帰属を守ると感じられるときである。
もし組織が、上層部の私欲、恐怖支配、見せしめ、異議封殺、評価の不公正に接続されれば、社員は「会社のため」と言われても本気で動かない。
逆に、組織が公正な制度、異議申立て、現場保護、透明な評価、責任追及、報復抑制を備えれば、社員は「自分たちの組織」として再び動くことができる。
7.1 組織の形式だけでは、現場は本気で動かない
組織名がある。
役職がある。
命令系統がある。
会議体がある。
評価制度がある。
予算がある。
これらは、組織の形式である。
しかし、形式だけでは現場は本気で動かない。
現場が本気で動くには、その組織が自分たちを守る共同体であると感じられる必要がある。
十人委員会期のローマには、国家の形式があった。
しかし、兵士にとっては自由なローマではなかった。
現代組織も同じである。
法人格があるだけでは、現場は忠誠を持たない。
「この組織は自分たちの尊厳と未来を守る」と感じられて初めて、現場は本気で動く。
7.2 勝利が上層部のものになると、現場は本気にならない
現場が努力するかどうかは、勝利の帰属にも左右される。
成果が組織全体に還元されるなら、現場は動く。
成果が現場の評価や安全につながるなら、現場は努力する。
成果が共同体の持続につながるなら、現場は危険を引き受ける。
しかし、成果が上層部の面子だけに使われるなら、現場は本気にならない。
十人委員会期の兵士たちは、勝利が十人委員の権威を強めると見た。
そのため、勝利する意味を失ったのである。
現代組織でも、成果が現場に還元されず、上層部の評価や保身に使われる場合、現場は本気にならない。
7.3 人は「自分たちの組織」のために動く
人が本気で動くのは、「この組織は自分たちのものだ」と感じるときである。
現場の声が届く。
不当な処罰から守られる。
異議申立てができる。
成果が正当に評価される。
方針が公共目的に接続している。
責任追及が手続きによって行われる。
報復が抑制されている。
勝利が現場にも還元される。
この状態であれば、現場は組織を「自分たちの共同体」として認識できる。
逆に、上層部の私欲や恐怖支配に接続された組織は、現場にとって「自分たちの組織」ではない。
それは、従わされる支配装置である。
この状態では、現場は命令には従っても、本気では動かない。
7.4 自由保障回路は、実行力の土台である
自由保障回路は、現場を甘やかす仕組みではない。
むしろ、組織の実行力を支える土台である。
意見を言える。
異議申立てができる。
不当な処罰から守られる。
現場代表が機能する。
評価が透明である。
責任追及が手続き化されている。
報復が抑制されている。
このような構造があるからこそ、現場は命令を正統なものとして受け取りやすくなる。
自由保障回路が壊れると、命令は支配に見える。
自由保障回路が回復すると、命令は共同体防衛として受け取られる。
7.5 現代組織への保存命題
現代組織への保存命題は、次の通りである。
人は、国家や組織という形式そのもののために命や努力を差し出すのではない。自分たちの自由、尊厳、権利、名誉、共同体帰属が守られるOSのために戦うのである。兵士が自由なローマのために戦おうとしたのは、自由なローマだけが、兵士にとって守る価値のある共同体だったからである。
8. 総括
兵士が国家そのものではなく、自由なローマのために戦おうとしたのは、国家の形式だけでは命をかける対象にならないからである。
十人委員会期にも、ローマ国家は存在していた。
都市ローマはあった。
元老院もあった。
軍団もあった。
敵もいた。
命令権もあった。
しかし、その国家は、兵士にとって自由なローマではなかった。
上訴権は停止されていた。
護民官は不在であった。
十人委員は任期後も居座っていた。
元老院内の反対は威圧されていた。
司法はアッピウスの私欲に接続されていた。
戦場では、十人委員への反対者も排除された。
このような国家は、兵士にとって守るべき共同体ではない。
むしろ、自分たちの自由を奪う支配装置に近い。
したがって、兵士は国家一般のためには戦えなかった。
自由回復後、状況は変わる。
十人委員は退いた。
護民官が戻った。
上訴権が回復した。
護民官不可侵が強化された。
平民会決議が強化された。
報復も抑制された。
これにより、ローマは再び「自由な市民が帰属できる共同体」となった。
このとき、ウァレリウスは兵士に対し、自由な都市ローマのために、自由の身として戦っていると語った。
これは、戦争目的の再定義である。
兵士は、国家そのもののためではなく、自由なローマのために戦う。
なぜなら、自由なローマこそが、兵士自身の自由、家族、名誉、権利、共同体帰属を守るOSだからである。
本稿の結論は、次の一文に集約される。
兵士が国家そのものではなく、自由なローマのために戦おうとしたのは、国家の形式だけでは忠誠の対象にならないからである。兵士が命をかけて守ろうとするのは、自分たちの自由、権利、共同体帰属、名誉が守られるOSである。自由回復後のローマだけが、再び兵士にとって「守る価値のある国家」となったのである。
9. 底本
ティトゥス・リウィウス『ローマ建国以来の歴史2』岩谷智訳、京都大学学術出版会、2008年。
OS組織設計理論 R1.34.00.00。