1. 問い
なぜ創業よりも守成の方が困難になるのであるか。
2. 研究概要(Abstract)
『貞観政要』において、太宗は重臣たちに対し、創業と守成のどちらが困難かを問うている。これに対し、創業期の苦難を共にした房玄齢は「創業」と答え、守成期に太宗を支えた魏徴は「守成」と答えた。太宗は両者の答えを聞き、どちらにもそれぞれの困難があることを認めたうえで、創業の苦難を乗り越えた以上、今後は守成に努めるべきだと述べている。
本稿では、『貞観政要』において魏徴が守成の方が困難であると答えた内容を構造的に分析する。そのうえで、平和な時代に固有の問題点を明らかにし、それを現代組織にも適用可能な形で抽象化する。
3. 研究方法
本稿では、『貞観政要』における太宗の問いに対する房玄齢と魏徴の回答を Layer1 の事実として抽出する。
そのうえで、房玄齢と魏徴がそれぞれ示した創業期と守成期の困難の性質を Layer2 で構造化し、最後に、現代組織においても通用する洞察を Layer3 として導出する。
4. Layer1:Fact(事実)
① 房玄齢は、創業の困難を「命がけで生存を勝ち取ること」に見ていた
『貞観政要』君臣篇第三章において、太宗は「創業と守成はどちらが困難か」と問うている。このとき、太宗とともに戦乱の中を生き抜き、唐の建国に大きく貢献した房玄齢は、創業の方が困難であると答えている。
その理由として房玄齢は、国家創業の当時は天下が乱れ、群雄が各地に割拠しており、それらの強敵を打ち破り、降参させ、戦争に勝ってはじめて平定に至ったと述べている。すなわち、創業の最大の困難は、生存そのものを賭けて敵と争い、勝ち残らなければ次の段階に進めない点にある。
② 魏徴は、守成の困難を「平和の中で自らを保つこと」に見ていた
同じ問いに対し、魏徴は守成の方が困難であると答えている。魏徴は、帝王が起こるときには前代の極度の衰乱を受け、乱を平定して人民の支持を得るため、創業は天が授け人民が与えたものとして比較的成立しやすいと見ている。
しかし、帝王の地位を得た後は、何事も自己の思いどおりになりやすく、志向が次第に気ままになると指摘する。人民が長い戦乱の後に安静を望んでいるにもかかわらず、土木工事やぜいたくのために疲弊させれば、そこから国家の衰亡が始まると述べている。ここで魏徴が見ているのは、外敵ではなく、平和そのものが生む内部崩壊リスクである。
③ 太宗は、創業と守成の双方に異なる困難があることを認めた
太宗は房玄齢と魏徴の答えを聞いたうえで、創業も守成もどちらも困難であると認めている。そして、創業の苦難をすでに乗り越えた以上、今後は守成に努めるべきだと述べている。
このことは、太宗が創業を「勝ち取る困難」、守成を「維持し続ける困難」として区別して理解していたことを示している。
5. Layer2:Order(構造)
5-1. 創業期における問題解決プロセス
房玄齢の回答を構造化すると、創業期は外部脅威に対する生存闘争の時代である。ここでは外圧が極めて強いため、組織は常に危機意識を持たざるを得ない。生き残るためには情報を集め、適切に認識し、判断し、行動しなければならない。
その問題解決プロセスは、次のように整理できる。
外部脅威(戦乱・競争)
↓
緊張状態(危機意識)
↓
多元的情報収集
↓
正確な認識
↓
適切な判断
↓
生存危機を賭した活動
↓
生存
↓
組織成長
創業期の最大の困難は、最後の「生存危機を賭した活動」と「生存」そのものである。この二つを突破できなければ、そもそも次の段階へ進むことができない。ここに創業期特有の困難がある。
5-2. 守成期における問題解決プロセス
これに対し、魏徴が見ている守成期の困難は、外圧が消えた後に生じる内部崩壊のリスクである。創業期には、生存危機が存在するため、外圧が強制的に慢心を抑え、一定の自己制御を促す。しかし、守成期にはその外圧が弱まるため、人間は気ままになり、安逸に流れやすくなる。
その内部崩壊プロセスは、次のように整理できる。
平和・危機感の低下
↓
慢心・安逸
↓
自己制御の低下
↓
諫言の軽視・消失
↓
情報の偏在
↓
認識の歪み
↓
判断の誤り
↓
崩壊へ
ここで重要なのは、守成期の困難が、外敵の強さではなく、自らを律し続ける困難にある点である。外圧が存在しないため、慢心・安逸を抑える努力は、環境から強制されない。ゆえに、自己制御と諫言の維持は、意識的に行わなければならない。
また外圧消失により、異論の必要性が低下し、諫言が「不要な摩擦」に見え始める。
5-3. 創業と守成の困難は、統治の制御様式そのものが異なる
以上を統合すると、創業と守成の違いは、困難の量の違いではなく、困難の性質の違いにある。
創業期では、外部脅威が強いため、組織は外圧により正しい方向へと半ば強制される。言い換えれば、創業は「外部制御」の局面である。
これに対し、守成期では、外圧が低下するため、自ら正しさを維持しなければならない。言い換えれば、守成は「内部制御」の局面である。
創業は環境が人を引き締める。
守成は、自らを引き締め続けなければならない。
この転換こそが、守成の困難の本質なのである。
6. Layer3:Insight(洞察)
『貞観政要』を構造的に分析すると、創業と守成の違いは、外圧の有無によって組織の制御様式が変わることにあると分かる。
創業は、戦乱や競争という外部脅威に由来する「外部制御」の局面である。そこでは、生き残るために危機意識が自然に維持され、多元的な情報収集、正確な認識、適切な判断が促される。創業期の困難は大きいが、その困難自体が組織を引き締める。
これに対し、守成は、平和の到来によって外圧が低下した後の「内部制御」の局面である。そこでは、特に努力しなくても当面は現状維持が可能であるため、人間は慢心し、安逸に流れやすい。その結果、自己制御が低下し、諫言が軽視され、情報が偏在し、認識が歪み、判断を誤る。
ゆえに、守成の困難さとは、成長の困難ではない。
それは、劣化との戦いの困難である。
そして、その中心にあるのは、自己修正機能を維持できるかどうかである。自己制御と諫言を通じて、独断や偏見を防ぎ、認識と判断を補正し続ける能力が失われれば、組織は直ちに崩壊しないとしても、静かに劣化し始める。
したがって、守成の困難さは、平和が続く限り、世代を超えて慢心と安逸を抑制し、自己修正機能を維持し続けなければならない点にあるのである。
7. 現代への示唆
現代組織においても、守成とは、外部圧力が低下した状態で、自己制御と情報循環によって組織の劣化を抑制し続けるプロセスである。
創業間もない企業には、
- 現場志向
- 柔軟性
- 情報の多様性
が見られやすい。
これに対し、成熟企業では、
- 官僚化
- 硬直化
- 情報閉鎖
が進みやすくなる。
もちろん、官僚化そのものが直ちに悪であるわけではない。組織化は、創業期から守成期に移行する際に不可避の課題だからである。問題は、官僚化が進むときに、同時にセクショナリズムと情報閉鎖が進み、組織全体の認識と判断が歪み始める点にある。
そのため、守成期における最大の課題は、統治する側、企業でいえば経営者側が、常に劣化防止を意識し続けることである。すなわち、自ら情報を正確に集め、独断や偏見によらずに判断を下せているのかを、絶えず自らに問い続けなければならない。
この不断の自己点検を、組織が存続する限り続けなければならないこと。
これこそが、守成期における最大の困難なのである。
8. 総括
創業と守成には、いずれにも相応の困難がある。
しかし、創業が常に生存リスクを抱えた困難であるのに対し、守成は常に劣化リスクを抱えた自己制御の困難である。
人間は本能的に、自己制御を怠れば劣化する。
そのため、守成期には才能だけでは足りず、徳 が必要となる。
創業期にも徳は望ましいが、外圧という危機感が強制的に慢心を抑制するため、徳の不足が直ちには表面化しにくい。
しかし、守成期にはそれが存在しない。
ゆえに、守成期においては、才能に加えて、慢心と安逸を抑え、自己修正機能を維持し続ける徳が不可欠となるのである。
したがって、創業よりも守成の方が困難になるのは、守成が平和の中で自己劣化を防ぎ続けなければならない局面だからである。
9. 底本
原田種成『新釈漢文大系 貞観政要・上』明治書院、1978年